この世の背景

主に、どうしようもないことを書いています。

障害者を見た時の、気持ちの悪さ

 身体障害者を見たとき、明らかな知的障害者を目の前にしたときに、居心地の悪さを感じたり、なにか落ち着かないような、「気持ち悪さ」を感じたことはないだろうか。一度もないって奴は大嘘つき野郎だから今すぐに死んでくれ。…あ、物心ついたころから見慣れてたって人は死ななくていいです。

 自分は感じていた。で、「差別はいけない」って思ってたもんで、「人を見てなんとなく気持ち悪い感じがするってのは、自分の中に差別の意識があるからではないのか」なんて考えて罪悪感を感じていた。「差別はいけません」って聞くたびに、苦しんでいた。...可愛い奴め!

 まぁでもそりゃ気持ち悪いよ。自分と似てるけど違うものを見た時にそう感じるのは、生物として当たり前のことで、もし人間が異質な(と感じる)ものを見てもなんの気持ち悪さも感じない生き物なら、とうの昔に滅んでる。

 だから、そこまではしょうがない。「〜と感じる」までは本能だから、罪悪感なんて感じる必要全くなし。そこから先だけが倫理の問題なのだ。

 けれどそこを理解せずに罪悪感を感じ続け、罪悪感から逃れるために自分が感じている「気持ち悪さ」から無理矢理目を背けると、困ったことになる。

 異質なものを見た時の「気持ち悪さ」なんて、場数こなせば消える(おおざっぱにいって「慣れる」)。これも本能。でもその「気持ち悪さ」から目を背け続けると、慣れる機会が失われてくすぶり続ける。で、そのくすぶりからも全力で目を背けようとすると、最終的に差別問題にやたらと厳しくなったり(別の対象を攻撃してごまかす)、あるいは逆に無関心になったりする(対象から遠ざかる)わけだ。

 あーやだやだ。そういう人たちの余裕のなさったら、気持ち悪くてゲロりそう。

 でも、その「気持ち悪さ」に何の疑問も持たずに堂々と差別を開始する阿呆よりは100兆倍程いいとは思うけど。