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この世の背景

主に、どうしようもないことを書いています。

「ほっこり」は何故、人をいらつかせるのか。

自分が初めて「ほっこり」を目にしたのは、もう10年程前になるだろうか。とある雑誌だったか、パンフレットだったかは忘れたが、「〜温泉に入ってほっこり♡」という様な文句だったと思う。

 

初めて目にした言葉にも関わらず、とんでもなくイラッとしたのを覚えている。いや、「イラッとした」というよりは、もはや「殺意が湧いた」という方が近い。

 

その頃から、そのような意味での「ほっこり」が流行りだしていたと思う…多分。以降色々な所で目にするようになったし、あまつさえ一般人の口からも同様の発言が認められるようになってきた。全く許し難い風潮である。

 

という事を、下記の記事を見て思い出した(「ほっこり」という単語が使われている、というだけのことなのだが。内容は非常に面白い)。

 

ギスギスしてーる。 - 悩みは特にありません。 

 

 ちなみに「『ほっこり』ってなんかむかつくんだけど」という人は、少なくとも自分の周りには結構いて、全くの少数派とは思われない。そして「ほっこりむかつく派」の人々は、大体が「ちょっとむかつく」というより「毛嫌いしている」人が多い。

 

何故「ほっこり」はこうもイライラするのか(以降「ほっこり」という時はこの「心がほっこり」系の意味とする)。

 

世界から誤用の"ほっこり"を誤用で撲滅する - 斗比主閲子の姑日記

 

で「ほっこり」がネガティブに語られている。

 

ちなみに自分は京都人ではなく、京都の言葉に思い入れも無い。加えて「正しい」日本語にも興味が無い。言葉は時代によってどんどん変わるのが当たり前だと思っているので、そこら辺ではイラッとしない。たまに「メニューは以上でよろしかったでしょうか」と言われた時に、発狂して店員をぶん殴りそうになる程度である。

 

前記のブログでは「ほっこりの受け入れ難さ」について、

 

これは誤用の"ほっこり"の持つ意味よりも、使われるシチュエーションや使う人に対するところが大きいんだと考えています。大抵、誤用の"ほっこり"を使う人は、丁寧な暮らしやロハスや人間の手が入らない自然が大好き。誤用の"ほっこり"を、自分の心がいかに満たされているか、他人にアピールするときに使います。(偏見)

 

と、「使用する人間・シチュエーション」への嫌悪感が語られている。確かに、上記の人間とシチュエーションについては、自分も軽い吐き気(内臓が全て出るくらい)は催す。しかし例えば、きれいな女性に全裸で「一緒に温泉でほっこりしよ!」と言われたとしても、イライラは変わらないと思う。思わずバケツ一杯の氷水を浴びせかけるであろう。少なくとも自分は、誰がどんな場面で使っても、カチンとくる。

 

何故こうもイライラするのか考えていたのだが、他の言葉と比べてみて、ちょっとわかった気がする。

 

例えば「温泉に入って、ほっ」ならば、その前に緊張感があったことが示唆されるし、「温泉に入って、だらだら」は弛緩しつつも疲労感の存在が匂うし、あるいはその状態について多少の疑問や後ろめたさを感じている雰囲気がある。

 

「温泉に入って、のんびり」であれば、後ろめたさは無いが疲労感はやはりあるし「温泉に入って、ゆったり」はかなり身体感覚よりの表現で、心理的に捉えると緊張感からの解放、というニュアンスだ。

 

それに比べて「温泉に入って、ほっこり」はどうだ。この言葉からは、1mmの緊張感も感じられないではないか。苦労も、ストレスも、疲労感も全然感じられ無い。にもかかわらず、ただのうのうと、くそ能天気に心地よさをむさぼっている。その上、苦労無く快楽をむさぼっている状況に、何の疑問も、後ろめたさも感じておらず、ただただ満足しきっているのである。

 

そして、自分はこういう「自らに疑問を全く持たず、満足しきっている」存在がこの世で一番嫌いなのである。「ほっこり」している奴らの満足しきった顔が、気持ち悪くてしょうがないのである。

 

もっと後ろ暗くなれ!!罪悪感を抱け!!何かに怯えろ!!自信を無くせ!!