ネット上には、いろいろな文章が転がっている。文章の面白さには色々あるけど、自分にとって最も面白いと思う文章は、動揺させられる文章のことである。
例えば、自分の価値観や世界観や人生観が脅かされたり、隠していた自分の嫌な部分が見えたり。そういう文章が最高である。絶叫マシンなど比べ物にならないドキドキ感が味わえる。そういう文章に出会えた人は、自分の幸せをかみしめた方がいいと思う。
でももちろん、そういう文章は非常に少ないし、しかも年齢を重ねるごとに出会いにくくなってくる。当然だししょうがないのだが、つまらないなぁ、と思う。
しかし今、下の記事を見て、上記以外にも動揺する例があることを思い出した。
それは、恥ずかしさである。
この文章をよんで、
「うわー、自分も昔こんなこと言ってたわ…。ひぃ、恥ずかしい!きっと痛いやつだと思われてた!かげで馬鹿にされていたに違いない!!うわー!!あの頃の自分を土に埋めたい!!」
という動揺が得られた。ああ、楽しかった。
この文章を書いたのが、14歳の男子でないことにまず注目して頂きたい。年齢は知らないが、2001年からブログが続いていることから推測して、恐らくいい年した大人と思われる。しかも年間60万字も書いているらしい。それでこのありさまである。何故いい年した大人がこんな文章書くのかなぁ。ネタに困ったのか、酩酊状態で書いたのか、自動筆記によって知能の低い霊に書かれたのか。
この文章の筆者(かさこさん)に教えてあげたいのは以下。
・単にお金を稼ぐために宝くじを買う奴はいない。
宝くじ当選で得られるのは、単なる「お金」じゃあない。「一生かかっても目にすることが出来ないお金」なのだ。宝くじを買わないなら手に入る確率は0%だし、買ったら少し確率が出現することになる。だから、買う。当せん金率45.6%とか、大した意味がないのである。
仕事で稼げというかもしれないが、何億も働いて稼いだら、犠牲になるものがあることくらい社会人ならわかるよね?
・競馬とは根本的に異なる。
かさこさんは、同じギャンブルってだけで並べて語っているが、競馬は基本的に「一生かかっても目にすることが出来ないお金」は狙わない。自分の予想によって、ある程度増やそうとするコンセプトであって、宝くじとは全く異なるのだ。
・人生を切り開くために買う奴もいない。
楽しいから買うのだ。人生はとっくに切り開いているかもしれないし、宝くじとは別に切り開くつもりかもしれない。宝くじと人生は別問題である。まぁ、四六時中人生を切り開こうとしていてうっとうしい「意識の高い人(笑)」にはそう思われるのかもしれないが。
以上。
かさこさんは、もっと目の前のことを観察した方がいいと思いました。