この世の背景

主に、どうしようもないことを書いています。

偏見を避けようとしていると、かえって判断が歪むという話

 

偏見を、親の敵のごとく嫌う人がいる(親の敵だったらしょうがないが)。他人の偏見を見つけたら、まるで自分が世界の全てを知っているかのような顔をして、異常な攻撃性を発揮する人。よくいるよね。まぁそういうやつらは全員、あんぽんたんのくせに何故か自分の頭がいいと思っている、勘違い野郎なんだけど(偏見です)。

 

偏見がなぜ生まれるか、ってまぁ、まじめに語ったら大変そうなのでしないけど、

 

1.情報量が少ない

2.対象への感情を処理しきれない

3.リスク回避と自分の判断力との天秤

 

とか、まぁそこらへんかね。

で、偏見は絶対無くならない。

 

こっちはニートじゃねーんだから、毎日の生活が大変で、そんな情報ばっかり集められないし、自分の感情を完全にコントロールなんか出来ないし、自分の判断力に限界があるのは明白だし。あるべくしてあるのだ、偏見は。

 

だから、偏見はなくならない。人に出来るのはただ、自分が確実に偏見を持っているという自覚を持つことと、偏見を必要以上に表に出さないようにする慎重さを持つこと、その上で可能な範囲で情報を得ること、だけなのである。

 

にも関わらず、偏見を無くそうとしたらどうなるか。前記の偏見の生まれる理由とセットで考えると以下のような問題が起きる。

 

1.情報量が大きくなって処理できなくなり、判断できなくなる。

2.自分のネガティブな感情を避けるため、ネガティブな判断を過剰に避けてしまう

3.自分の判断力、あるいは持っている情報を過信してしまう。

 

このような問題を抱えている人は、自覚がない分頑なな人が多い(偏見です)。おまけに上から目線でうっとうしい(偏見です)。自分の嫌なところを見つめる自信が無い人であり(偏見です)、自身の無さゆえのプライドの高さが臭い(偏見です)。

 

偏見あってもいいじゃないの、デリカシーさえあれば。

 

以上、本題終わり。以下、余談。

 

下記のリンク先に、ちょうどいい例があったので、この文章を書いた。

「風俗で働く」ことを怒ることは百害あって一利なし - キリンが逆立ちしたピアス

突っ込みどころが多すぎて、読んでたら疲れて寝てしまいそうである。偏見バスターの末路である。それでも頑張って多少突っ込んでみたので、褒めて欲しい、誰かに。

 

<突っ込み>

「安易な気持ちで危険なセックスワークを選んでいる」というのは偏見である。昔よりも今のほうが、労働条件が悪いのは、その人たちの意識の問題ではなく、社会の問題である

→引用元の文章のどこにも「安易な気持ち」とは書いていない。書いてない言葉を付け足して論旨を歪めるのはちょっとねえ。

 

セックスワーカーへ必要なのはエンパワメントであり、説教ではない。上のような記事をもし、健康に心配のある(特に若い)セックスワーカーが読んだら、婦人科での説教を恐れて受診を避けるかもしれない。そうなれば、いっそうセックスワーカーの健康を損なうだろう。

→確かに。が、この記事(現場を知る人が危険性を説いている)を見て、セックスワーカーの危険性についてもっと考え、セックスワーカーとなることを考え直す、あるいは慎重になる人が・・・いるかもしれない。少なくとも、一利はあるってことだ。

 

セックスワークに従事することは、殺されるリスクを負うべきだと読める。仕事中に殺されるセックスワーカーがそれを防げなくても責められるいわれはない。責めるべきはセックスワーカーを暴力の標的にした加害者である

→リスクは負うべきなのだ。そういう危険性は確かに高いのだから。ただし、当然だがセックスワーカーに責任は無い。両立する意見であり、反論になっていない。

 

「プロ意識がなく、無防備だとされてしまったセックスワーカー」の説明に、性的虐待の被害者、のみを取り上げている

→抱腹絶倒である。現実を知らなさ過ぎる。「プロ意識がなく、無防備だとされてしまったセックスワーカー」において、虐待被害者がどれくらいいると思っているのか。この人は、単に浅はかな人間や、単に考える能力が低い人間がどれほど多いか、知らないのだろうか?

 

まぁ、なんというか、セックスワーカーへの偏見を避けるため、偏見をもってそうな人を否定するため、おかしな論を展開している。あるいは、単に文章を読む能力が無いのかもしれないけど・・・まぁどうでもいいか。