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この世の背景

主に、どうしようもないことを書いています。

話の導入の残念さ

 昨日クッキーをクリックしつつ見ていたTV番組(テレビシャカイ実験あすなろラボ)で、教師の経験もあるという乙武洋匡が母親たちを前にして、

 

「保護者面談の時、みんなわが子の悪いところばかりを訴えてくる」

「重箱の隅をつつくようにして細かい悪いところを探して訴えてくる」

「昔、先生『うちの子いいでしょう!』と言ってくる親がいて、実際その子はいい感じの子であった」

 

など「保護者面談の時に子供の悪いところを話すのは、悪いところばかり見ているからだよ。それは良くないよ」的な話をしていた。それを見て、

 

あんぽんたんかお前は。そもそも保護者面談って、困ったことを相談する場所、って面があるだろうが。少なくとも相談の必要のない世間話をしたり、わが子の自慢話をするところではないだろうが。だから、大して困ったことが無くても、重箱の隅をつつくように相談事を見つけてやってくるんだろうが。実際に悪いとこばかり見てるわけじゃねーよ。そんなことも分からない、想像力のない、頭の悪い、人の気持ちのわからない、しょうもない人間に教師なんかしてほしくないわ!はげ!」

 

と一瞬イライラしたのだが、しかし乙武洋匡をこれまでTVなんかで見た限り、頭が悪そうには見えない。少なくとも上記のことが全く分からない様なあほには見えないし、はげてもない。なのに、なぜこんな祖末なエピソードを話したのか?続けて番組を見ていると、

 

「母親はどうしても子供を注意したり叱ったりすることが多くなるため、子供には母親の愛情が伝わってないことがままある」

 

と続いた。つまり「保護者面談の時に〜」から「母親はどうしても〜」は、

 

導入「ほら、悪いとこばかり見ているでしょう。思い当たるでしょう」

本題「(悪いとこばかり見て)叱ってばかりでしょう。だから愛情は伝わりにくいですよ」

 

という流れになっているわけだ。本題にはそれなりに説得力があるし、共感も出来る(特に目新しい意見じゃないけど)のだが、それにしてもこの導入は出来が悪い。導入自体のおかしさは前述したが、さらに本題に影響して「叱ってばかりなことの理由」を「子供の悪いところばかりを見ているから」に限定することになっている。良いところ、悪いところ両方見ているにも関わらず、叱ってばかりになる状況、容易に想像出来るでしょうに(それについての評価や原因はまぁおいておくとして)。

 

 何かの論を展開する時に導入として象徴的で分かりやすい体験談や寓話を挙げるのはよくあるテクニックではある。うまくいったらスマートでわかりやすい流れになる。が、この導入に関する意識が薄い人が多いように思う。短い話に本題を過不足なく象徴させるのが難しいのは分かるけど、それにしても手抜き過ぎるんじゃないか。本題が大切なのはわかるけど、もっと適切なのを探してほしい。それ以降の本題には見るべきところがあるのに、導入にツッコミどころが多すぎて、導入自体で反発されてその後の話について触れられなくなったり、あるいは導入と本題のずれをそのまま本題の否定に使われたりするのを、ネット上でよく見かける。まぁいわゆる冷静な人は導入は導入として、本題を別に検討するんだろうけど。

 

 そんなわけで、繰り返すがひどい、というか残念な導入だった。まぁ人に色々求めてもしょうがないし、こちらも本題のみ見てればいいんだろうけど…そうはいっても気になってしまうんだなーこれが。