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この世の背景

主に、どうしようもないことを書いています。

投票に行く人達と1票の価値

投票という行動は立派である。

「行動しない奴はクソだ」という人は民主主義をわかっていない 投票こそ庶民の立派な行動である : 陽平ドットコム〜試みの水平線〜

 

しかし、投票に行くのは、とてもめんどくさい。自分が1票投じたところで、世の中に与える影響なんてたかが知れている。誰がなんと言おうと、1票の価値なんてゴミみたいなものだし、それなら自宅でTV見てる方がなんぼかマシである。投票なんて、時間と労力の無駄である。

 

・・・などという考え方は、褒められたものではないが、決して間違っていない。実際、あなたが急病で投票に行けなくなっても、投票結果には何の影響もない。間違って対立候補に入れたって、何の影響も無い。不正行為をして、100票を1人で入れたって、何の影響も無い。

 

全く、何の影響も無いのだ。

 

それでも、投票に行く人たちがいるわけである。そのような人達は、どうして「自らの果てしない無力さ」の絶望に囚われずにいるのか。

 

それは「自分はとある集団に属している」という考え方、あるいは感覚のためである。

 

その集団は政党や候補者の支持団体とは限らない。それはとある不満を共有する集団、あるいはとある期待を共有する集団であり、現実的な枠組みがある集団ではなく、「同じように感じている人々がきっといる」という確信に基づいた、潜在的な集団である。

 

そして人は、その潜在的な集団と共に、共にと言うより一体となって、投票するのだ。したがって、この時投票する票は1票ではない。何万、何十万の票なのである。決して無力な自分1人の投票ではない。

 

だからここで重要なのは、その集団がそれなりの勢力を持っていて、他の集団と戦うことが可能、という点である。弱い集団に属していたら、個人で投票するのとなんら変わらない。時間の無駄である。

 

選挙の時に立候補者が「とある集団」をターゲットに選挙活動を行うのは当たり前のことであるが、実は投票者も、自分がどのような集団の一員として投票するかを感じているのである。だからその集団にある程度の強さ、勝算があると感じるのなら投票に行く動機となるし、なさそうと感じるなら、投票に行きたくなくなるのである。

 

だから立候補者は、対象とする集団に「俺たち割と多いのかも」「力を合わせば戦えるかも」「勝てるかも」と思わせないといけない。それが力の見せ所である。従って、東京知事選挙のとある立候補者のように、対象とする集団を限定し、かつ、はなから負け戦だと思っている人間に投票する奴はいない。

 

ついでにいうと、若者の得票率が低いことがいつも話題になるが、自分自身の能力に頼ることが出来て、将来への不安も現実味を帯びていない、従って集団を形成しにくい若者(選挙の性質上、何かしらの不安や不満が集団を形成することが多いだろうから)が、投票に行くわけがないのである。投票における個人は、本当に無力であるから。