この世の背景

主に、どうしようもないことを書いています。

なぜ若者は投票に行かないのか、と問う前に。

若者の投票率の低さが言及される際、馬鹿の一つ覚えの様に発される問いが「なぜ若者は投票に行かないのか」である。でもそんなことを問う前に、もっと重要な、もっと先に考えなければいけないことがあるではないか。それは

 

「なぜ投票に行く人は投票に行くのか」

 

である。これをはっきりさせないで「なぜ若者は投票に行かないのか」と問うてもしょうがないし、意味が無いし、時間と労力の無駄である。対策だってとれやしない。それとも、みんなその理由をはっきりと知っているのだろうか?

 

まず最初に確認しておきたいのが、一票の価値についてである。「あなたの一票が政治を変える」とか「一票は消して軽く無い」とか、耳触りの良い言葉が溢れているが、そんなものは嘘っぱちである。たかだか一票なんか、羽毛より、埃より、花粉より軽いのである。

 

あなたの一票が政治家の選別につながる可能性は極めて低いし、選別につながってもそれが政治の変化につながる可能性は更に低い。一票の期待値は、ほとんど0に近いのである。そんなものは人間の行動に影響を与えられない。故に若者に一票の重さを説いても無駄だ。だって、嘘だから。若者はそこまで馬鹿ではないのである。

 

では、投票しにいく人は何を求めて投票しにいくのか、以下に挙げてみた。

 

・選挙に参加したという満足感

・「ある人・政党に賛成」という気持ちを表出した満足感

・「ある人・政党に反対」という気持ちを表出した満足感

・政治を堂々と語っていい権利

・常識人として振る舞える権利

 

その裏として、何から逃れるために投票しにいくのか。

 

・選挙に参加しなかった後ろめたさ。

・「ある人・政党への賛成・反対」という気持ちを表出しなかった気持ち悪さ。

・政治を語る際の後ろめたさ。

・非常識な人間として誹られる機会。

 

番外編として

 

・祈るため。

・一票の価値を勘違いして。

 

あたりだろうか。わかりにくい「祈るため」の説明をしよう。これは、「藁をも掴む」気持ちで投票に行く人のことである。何かに追いつめられて、「藁」の代わりに「投票用紙」を、「掴む」代わりに「投票箱に放り込む」のである。藁の代わりだから、一票の価値なんかいくら軽くてもOK!である。

 

それと「一票の価値を勘違いして」。これは自分がとある集団に属しているという強い確信と、その集団があるところに投票するという強い確信を持ち、自分の1票がまるで1万票の意味がある様な気がして、その力を行使するために投票する人のことである。どうあがいたって、一票は一票でしかないのだが(しかしそう思い込む人間が増えれば実現するので面白い所ではある)。

 

他の項目に関しては別に説明も要らないだろう。人間そんなものである。で、それらを踏まえた上で「何故若者が投票に行かないのか」という問いである。

 

まず若いうちは自分のことに手一杯だし、自分は他とは違うという妄想に取り憑かれていて、同年代の人間達に所属している感覚が薄い(中年〜老人と比較すれば)。だから、一票の価値を勘違いしにくい。祈る対象が必要な程、追いつめられていない。投票に行かなくても許される空気(当然、同年代のコミュニティーの話)もある。学校で教えてくれないので、知識も無い。それに加えて、希望に溢れ過ぎていて、実生活の限界、先行きに気付けず、従って生活に直接影響のある政治に興味が持てないので、話題に上ることがない。よって話す必要も無い。政治家が年寄りばかりで親近感、ひいてはリアリティーを感じられず、応援する気が起きない。等々。

 

で、引き続いて「どうすれば」と問うのはまだ早すぎる。まずは「どうなればいいのか」

 

目の前のことで手一杯な若者が、同年代での連帯感を持つ様にはなりそうも無い(一部のリア充連中じゃ何の意味も無い)。いくら不景気といっても、まだ祈る程は追いつめられていない。政治家の年齢が激下がりすることもまずないだろう。実生活の限界に気付くのも、まだまだ先の話だ。「投票に行くのが常識だ」と年寄りが押し付けても、絶対に聞きはしないだろう。

 

実際に達成可能そうなのは「ほとんどの若者にとって政治の話題が会話の一部になっている」という状態である。そうなれば、会話に参加するため、変な奴と思われないため、何か立場を主張するため、勝手に投票に行きだすだろう。一票の価値なんか無くたって何の問題も無い。それが根付けば、一票の価値を誤解することさえ可能になるかもしれない。そして若い人間が立候補する様になれば、さらに投票率が上がるであろう。好循環というやつだ。

 

では、次に「ほとんどの若者にとって政治の話題が会話の一部になっている」という状態を達成するために「どうすればいいか」

 

答えなんか限られている。「ほとんどの」人間を変えるには、 洗脳 教育しか無い。そしてその効率と対象範囲の広さを考えると、義務教育の内に、しかも出来たら小学生から行うことが望ましいだろう。そしてその方法も、結構限られる。討論である。討論というと難しそうに聞こえるが、要するに会話のシュミレーションのことであり、これを行わすことで日常生活における会話の方向性を、こっそり誘導するのである。政治の話をする様に。

 

つまり、今の若者にかまっていても時間の無駄なので、次世代の若者に目を向けた方がなんぼかマシなのである。

 

…まぁ、若者の投票率を上げたいなら、だけど。