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この世の背景

主に、どうしようもないことを書いています。

瞬間の心もち

仕事が遅くまでかかり、それから飯を食って帰っていたので、すっかり遅くなってしまった。電車から降りて、自宅までを歩く。地面は濡れており、ところどころに水溜りがある。踏まないように気をつけて歩くが、街灯が無いので足元はほとんど見えず、時々踏んでしまう。空気はひんやりと湿っている。

 

近道をしようとして、ひらけた場所を斜めに歩く。向こう側に左右に延びる道が見えた。片側一車線のそれほど大きくない車道だが、街灯がついており、オレンジの光で濡れたアスファルトが鈍く光っている。車は通っておらず、自分の足音しか聞こえない。

 

その歩道に向かいしばらく歩いていると、ふと、一台の自動車が、雨上がりのアスファルト特有の音を残して走り去っていった。その後はまた、無音。

 

・・・

 

それだけなのだが、とても静かに良い気分になった。なったので誰かと共有したいと思ったのだが、今妻は自宅にいないし、いてもこの状況をきちんと説明できる気がしない。話してみれば頭で理解はしてくれるかもしれないが、この感覚が生に近い状態で伝わるかというと、それは難しいだろう。あるいは、飲酒を絡めていい感じの雰囲気が出来た時を狙えば伝わるかもしれないが・・・しかしその時までこのことを覚えていられるだろうか??まぁ無理だろう。こういうことはその場に同時にいなければどうしようもないのかもしれない。あるいは詩人なら可能なのだろうか?

 

などと考えながら歩いていたのだが、しょうがないからこのことは自分だけの体験にしておこうと決意した、というよりあきらめた。すると、それはそれで、少し温度が下がったような、洗練されたような、さっきよりも更に良い心もちになったのである。悪くないなぁ、としばらく一人で味わってみる。

 

が、じゃあこれブログに書いてみるかと思ったら、思っただけでその感覚はまた変質した。なんかもさっとした、つまらないものになってしまったような気がする。そして、文字にすると、更に劣化したので「あーあ。」である。しかし「あーあ。」でも、読んだ人がそこに含まれる何かの残骸を拾ってくれて、それがその人の中の何かの記憶を呼び起こしたりすることが万が一でもあるかもしれぬ、とか思って書いてみたエントリーです、これは。詩人へのジェラシーが止まらないぜ。