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この世の背景

主に、どうしようもないことを書いています。

人は何故ニセ医学を信じるのか。

最近、ニセ医学関連のエントリーをよく見かける。振り返ってみると、自分の周囲にも病気で祈祷師のところに行った人や、あるいはホメオパシーに手を出そうとした人がいる。しかしどの人も、特別に頭が悪いというわけではなかった。なのに何故、そんなものを信じるのか。いや、信じようとするのか。

 

人は信じたいものを信じる…という答えでは芸が無い。もっと正確に言うと、人は信じるメリットがあるからニセ医学を信じるのだ。(ここで言うニセ医学とは、祈祷などの宗教的なものも含め、代替医療を全て含むとする)

 

以下にそのメリットを3つ挙げよう。

 

 

①不安が軽減する

 

真っ当な医者程、安請け合いはしない。「絶対治る」なんて都合のいいことはほとんど言わない(それが必要な患者もいるだろうが)。必ず、失敗の可能性、出現するかもしれない副作用、予測出来ない事態が起こりうることなど、合わせて話すことになるので、当然そこに不安が生じる。

 

しかしニセ医学は違う。都合の良いことを言う。○○すれば必ず良くなります、副作用はありません、きっと上手くいきます、良くなった人がこんなにいます、等々。あるいは、積極的にそういわなくても、不都合なことはほとんど説明が無かったりする。だから、真っ当な医学によって生じる当然の不安が、ニセ医学を信じることによって解消されるというメリットがまず一つある。

 

(もう少し悪辣になると、真っ当な医療の証である失敗の可能性、副作用、不測の事態の説明を取り上げて、そこの不安を延々とあおる。とにかくあおる。そしてそこから逃れる方法を提案してくれるのだ、効果のない治療と引き換えに)

 

 

②世界の理不尽さを受け入れる苦痛を回避出来る。

 

言うまでもないが、この世に神なんてものはおらず、世界は理不尽そのものである。何一つ悪いことをしていなくてもひどい目に遭うし、どんなに優しい人間も突然死ぬのである。もちろん逆に、誰にどんなひどいことをしていても、幸運に恵まれた一生を送ることだってある。

 

世界がそのようであることは、動物ならば骨身に沁みて知っている(?)当たり前のことなのだが、人間は人間の作った道理の通った世界で生きているために、そのことを忘れがちである。だから何の理由も無く病気になった時、人間は「なんで俺が」「何にも悪いことはしていないのに」と考えるし、「どうにか出来るはずだ」と考えることになる。

 

しかし繰り返すが、本当は何の理由も無いし、どうにもならないのだ。そしてそれはこの世界ではごくごくごくごく当たり前のことなのだ。そのことが何の前触れも無く突然はっきりするので、人は急な世界観の変更を迫られ、とてつもないストレスを感じることになる。

 

しかし、それをニセ医学は助けてくれる。

 

その出来事に、適当な、そしてこれまでの世界観にそれなりにフィットした原因を与えてくれる。生活習慣、食事、心構え、信仰心、先祖の因縁、等々…。人は出来事に何か理由があるだけでとりあえず安心出来るのだが、ニセ医学は更にそれに加えて、とるべき道まで示してくれる!これを飲め、あれを食べろ、何を供養しろ、云々(「薬を飲まされる」「点滴される」のは「何かをする」とはニュアンスが違う)。人間はこれまでの人生で何かをして何かを乗り越えて来た体験があるので、当面やることがあると、それはもう避け難く安心出来るのである。

 

 

③自分に対して、主体的でいられる

 

医学は魔法ではない。病気に対してとれる手段は限られているし、効果にも限界がある。自らの病気に関して、医学から提案された限界のある、多くもない選択肢から方針を選ぶしか無いとなると、医療行為に受動的な印象を抱くのは止むを得ないところである。これは、人によっては非常に歯がゆいことであろう。

 

しかしこの世に数多ある代替医療を自分で探し、自分で選び、自分で行うとなると、なんだか自分の病に対して主体的に関わっている気になれる。こっちの方が、「攻めの気持ち」というか、前向きになれる、という人は少なく無いであろう。それが実際に効果があるかどうかなんて関係ない。

 

 

そう、上記の3つのメリットを見てもらえばわかると思うが、代替医療に実際に効果があるかどうかは関係ないのである。「効果があるかもしれない」と思わしてくれさえすれば、「害がなさそう」と思わしてくれさえすれば、代替医療としての効果は発揮されるのである。

 

もちろん、上記にあげたメリットは、皮肉ではなく本当にメリットなので、通常医療に平行して行いさえすれば問題ない。通常医療の邪魔にならなければ、平行して行って心の健康を保つのは大いに結構なことなのだ。

 

 

 

 

で、このエントリーは終わろうと思っていたが、タイムリーな記事を見たので、もう少し、重要な部分を追加。


これだから、ヨーロッパ人は非科学的なホメオパシー薬を信じる:イボが治った個人的体験を通して(岩澤里美) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

上の記事を要約すると、

 

スイス在住の夫婦が子供のイボをかかりつけ医(皮膚科でない)に診せると、けずるように言われた。やったが、増えただけだった。冷凍凝固は痛いからかかりつけ医は子供には勧めなかったし、夫婦も嫌だった。だからやめてホメオパシーのスプレーを使用したら、4ヶ月ほどでほぼ完治した。治る人がいる限り、ヨーロッパでホメオパシーは無くならぬ!永遠に!

 

である。・・・永遠に、のところは過剰でした、すいません。

 

まぁそういう記事なんだけど、この記事から読み取れるのはホメオパシーの素晴らしさではない。少なくともこのかかりつけ医(ホームドクター)が役立たずの藪医者であることと、ホメオパシーがヨーロッパからなくならないのはホームドクター制度に問題があるんじゃねーの、という疑いぐらいである(素人が適当に削ったらウイルス飛散して増えるの当たり前だろ)。

 

先にあげた3つのメリットに加えて、こういう荒唐無稽なことを信用できる、という下地があって初めて代替医療は成り立っているのだろうから、そこについても書いておきたい。

 

 

何故荒唐無稽なことを信じられるのか

 

それは、理論的な思考を置き去りにして生きてきたからである。世の中の様々なことを、何の根拠も無く、信じたり、信じなかったりして生きてきたツケなのである。しかしそれはなにもこのライターに限った話ではないし、責める気も無い。そもそも人間が通常の生活を送るのに、理論的な思考は必須でないし、そんなもの無くても立派に生きていけるのだ(逆に、とんでもなく理論的なのに、とんでもなくこの世に適応できてない人間も、飽き飽きするほどいる)。

 

荒唐無稽なことを信じるのが人間本来の通常運転であって(神、悪魔、霊、呪い、たたり、因果応報、ひきよせの法則(笑)などなどなどなど)、現在は「科学」という特殊で便利な学問が幅を利かせているので、それが見えにくくなっているだけだ。野性の世界では理屈なんて良くわからなくても、結果が出れば(そのように見えたら)無条件に信じた方が生き抜くのに便利だから信じてしまうのだ。そのように出来ているのである、人間は。そのようなものが生き残っただけで、そこに複雑な理由は無い。

 

 

まぁそういうわけで全部まとめると、ニセ医学が信じられているのは、そもそも理論的でない人間という生物が、即時に得られるメリットを求めて長期的には損をしそうなものを選択しているという、ありふれた、そして自然な行いの一つに過ぎないのである。

 

 

 

・・・余談だけど、人間のことを「そもそも非理論的な存在なのだ」と心から思うと、人間関係で腹立つことが減っていい感じ!だと思うんだけど、どうだろうか。ウサギや豚に本気で腹を立てる奴はいないだろう?どいつもこいつも、ついでに自分も、所詮はくそ動物野郎だぜ!!