【第0回】短編小説の集いのお知らせと募集要項 - Novel Cluster 's on the Star!
面白そうな企画があったので、書いた。山も谷も落ちも無いけど、初めてそういうものを書こうとしたんだから、許してあげなさい。凄く恥ずかしいんだからね!!
題:秘密
「美里の実家ってさ、りんごをウサギの形に切ったりしてた?」
湊川光一はりんごを丸ごとかじりながら、飯田美里に聞いた。先日TV番組でそのようなシーンを目にしてから、自分も丸ごとかじりたくなってたまらず、美里の住むアパートに来る前にスーパーで買ってきたりんごである。晩御飯は、すでに大学の友人と外で食べてきている。
「うーん、そういうのなかったな、うちは。」
美里は自分の晩ご飯を手際よく用意しながら答えた。光一と話しながらも、作業が淀むことは全く無い。
「そうなの。」
「そうなのよね。」
「じゃあ皮はついてた?剥いてた?或いはまさかの丸ごと派?」
「それを聞いてどうする気よ。」
美里が笑いながら出来上がった食事を持ってくる。野菜が多目に入った肉じゃがと、ほうれん草のおひたしと、豆腐とわかめの味噌汁、十穀米。相変わらずバランスの良さそうな食事だな、と光一は思う。テーブルにきれいに食事を並べ終えてから、美里が言う。
「うちはでりんご自体、あんまり出てこなかったから。」
「そうなの。」
「うん。」
「じゃあ美里んちではどの果物が人気だったのよ?」
いただきます、と美里は言い、煮物から食べ始めた。美里の食事の所作は、見ている方が少し緊張感を感じるくらいきっちりしていて、光一はそれを眺めているのが好きである。
「果物自体、あんまり食べなかったのよね。」
「あれ、果物嫌いだっけ。」
「そういうわけでもないんだけど。」
「ふーん。」
美里は煮物を食べ、ご飯を食べ、おひたしを食べ、ご飯を食べ、味噌汁を飲み…と、律儀なほどに順序良く食べ進めていく。いつも通りの光景である。何の計算も無く好きなものから食べつくしてしまう光一は、美里のちゃんとした食べ方だけでなく、控えめで強く主張しないところや、少し恥ずかしがり屋で目を伏せがちなところも含め、上品な家庭で箱入り気味に育てられたのではないかと、考えていた。
「そういや、美里の家族の話、あまり聞いたことないな。」
「だって聞かれないもん。」
「そうなんだけど。」
「興味ないくせにー。」
「いや、無いわけでも無いよ。本当はあんまり無いけど。」
「ほら、見たことか。」
「いや本当は、俺は美里が好きで美里自身に興味があり過ぎて、そっちまで気が回らなかったというね。」
「うわーお、よくそんなこと言えるよね。」
美里が皮肉っぽく笑う。
「確か弟がいるって前に聞いたような。」
「あれ、言ったっけね。いますよ。医学部に通ってる。」
「え、まじで?すごいじゃん。」
「勉強はできるよ。」
「勉強『は』?じゃあ性格は悪いの。」
「うーん。」
美里は食べる手を休め、少し宙を見つめた。
「性格は普通かなぁ。悪い奴じゃないな。運動もできる。」
「なんだよー、欠点無いじゃん。いけすかん奴だ。」
美里はそれを聞いてちょっと笑ってから、残りのご飯を上品に食べ進め、最後に手を合わせてごちそうさまと言った。いつもと変わらない綺麗な光景だが、熱心に美里を観察している光一の目には、今日の彼女はいつもよりほんのわずかだけ、緊張しているように見えた。
美里は食器を手馴れた様子で洗って、テーブルに戻ってきた。光一の隣に座って、彼が見ていたドキュメンタリー番組を見始める。先ほど光一が感じたかすかな緊張感は、もう感じられなくなっていた。光一はTVに目を向けたまま、何気ない風に美里に話しかけた。
「あれかな、ひょっとして家族の話は、あれ以上詳しく聞かないほうがいい系なの?」
美里は少し考える素振りを見せてから答えた。
「んー、良くわかったね。その系、その系。全然楽しくないと思うよ。」
「俺が?美里が?」
「どっちも。」
「ふーん。」
光一はこのまま話を続けることを少し躊躇したが、ここまできて話を聞かずに済ませることは、自分の性格上不可能であると判断して続行することにした。
「聞いたら怒る?」
「別に怒りはしないけど。まぁでも、ここだけの話にしてね。」
「もちろんですよ。言いませんよ。」
「まぁ大したことじゃないんだけど。私、虐待されてたんだよね。」
なんの感情的な変化も、少しの緊張感も見せずに、TVを見ながら美里は言った。
「え、マジで?」
「けっこうマジで。」
驚いた表情の光一と、少し笑顔さえ浮かべている美里の目が合った。
「嘘。4年付き合ってるのに初めて聞くぞ。」
「初めて言ったもん。」
そう言って美里はTVに向き直った。
「そりゃそうだけど…そんなそ振りというか、無かったしさ。虐待ってあれか、結構たたかれたとか?」
「そうそう。お母さんにね。なんだかんだで年中殴られたり、蹴られたりしてたな。いつも色んな色のあざがあったもん。物で叩かれた時は血も結構出たよ。出たら家が汚れるって怒られるんだけど、中々ひどいよね。」
光一は言葉を失って美里を見た。美里はTVの方を向いたまま、少し笑っている。
「小学生の頃は家事をほとんど全部させられてたし、食事の時に私の食べ方が気に入らないと途中でご飯捨てられて、その後しばらくご飯抜かれたりなんかしてたなぁ。作るのは私なのに。・・・まぁ、そういう感じ。」
光一は一瞬混乱し、何を言えばいいのかわからなくなったが、何とか声を出した。
「…本格的だな。」
美里が小さく噴出す。
「本格的って。あ、さっきのりんごの話だけどね、家では果物もお菓子も、私には出してもらえなかったのよね。だから。」
光一の口の中は乾いて少ししゃべりにくくなり、TVの音はもう聞こえていない。
「お父さんは…美里が虐待されているの知らなかったの。」
「どうかな。」
美里はTVの方を向いたままだが、番組は見ていないようだった。光一はその横顔を見つめたが、表情は無く、そこから何らかの感情を読み取ることは出来なかった。
「知らなかったんじゃないかな。だって帰るのはいつも遅かったし、お母さんは私を殴る時、服に隠れる所を狙って殴ってたし。絶対言わないように釘刺されてたから、私も言わなかったし。」
「いつから?」
「いつからかなぁ。わかんないけど、殴られていない記憶が無いなぁ。私が高校生になった頃から、直接的な暴力は減ったかな。」
まるで人ごとのように、美里は答える。
「弟は。」
「弟は可愛がられてたよ。」
「なんで美里だけ。」
光一は心底そう思った。
「さあね、男の子が欲しかったけど私が生まれたからかな。」
「そんな理由で?嘘だろ?たったそれだけの理由で、そんなことが出来るのか?」
「わかんないけどね。多分よ。まぁ弟までやられなくて、良かったといえば良かったかな。」
光一の心の中には、生まれてこれまで感じたことがない程の怒りが沸いてきたが、いつもと変わらない様子の美里を見ていると、どのようにしてその怒りを表現したら良いのか、よくわからなかった。
「結構、許せ無い感じなんだけど。」
それだけを、冷静に、それでも怒りは隠さずに言った。
「怒ってもらえるのは、嬉しいかな。」
美里はそう言って、TVの方を向いたまま、光一の肩にもたれかかった。
「この話したの、光一君が初めてだなぁ。」
「・・・そうなのか。・・・それは・・・」
この後、言葉をなんと続けるのが正解なのか、光一にはわからない。
「・・・それは・・・光栄だな。」
美里はその間の抜けた言葉を聞いて、また笑った。
光一には美里のその笑顔は、全くいつも通りに見えた。にも関わらず、その顔を見ていると何故だか無性に泣きたくなったのだが、美里を差し置いて泣くのは許されない気がした。だから上を向いて我慢しようとしたのだが、残念ながら、まるで上手くいかなかった。
それを見て美里は、またほんの少しだけ笑ってから、声を出さずに泣いた。
了