アイス・バケツ・チャレンジっていう慈善活動(?)が日本でも流行っているっぽい。
アイス・バケツ・チャレンジ
まず「アイス・バケツ・チャレンジ」を受けることを宣言してから、バケツに入った氷水を頭からかぶり、そして次にこのチャレンジを受けてもらいたい人物を2人から3人程度指名する。この様子を撮影した動画をFacebookやTwitterなどの交流サイトで公開してチャレンジ完了となる。指名された人物は同様に氷水をかぶるか、または100ドルをALS協会に寄付するか、あるいはその両方を行うかのいずれかを24時間以内に選択する[6]。
氷水はアメリカのスポーツ界では「祝福」を意味し、ALS患者のピート・フレイツの父親が元気付けたいという思いから氷水を頭からかぶっている[7]
ただ、氷水を頭からかぶることや寄付をすることは強制ではなく[8]、日本ALS協会も「無理はしないよう」要請している[9]。
著名人が次々と参加して盛り上がりをみせる一方で、ネット上では批判もしばしば目にする。
が、自分はありだと思う。
人間はそもそも、当事者やその周辺の人間以外、他人の痛みも苦しみも感じられないし、理解もできないし、そういうものに近づくための情報収集にかかる労力も時間も惜しむし、お金なんか一文も出さないものなのである。一時的に大きなイベントが起こった場合、良心が発動することもあるがやはり一時的であって、延々と困っている人にかまっちゃいられない。興味なんて持ち続けられない。人間は本来、自分から離れた人間にはまことに冷たいものなのである。
だから、お祭り騒ぎでもしないと、金だって出てこない。これが一時的であることに批判を言う輩もいるが、どこのパラダイスから来た人たちだろうか。祭りはすべからく一時的だし、一時的だからこそ意味を持つのである。ずっとやってたら飽きちゃうでしょ?
だから、どんどん騒いで、じゃんじゃん寄付すりゃいい。それを目の当たりにして、何か割り切れない気持ちを持ったとしても、その感情はアイス・バケツ・チャレンジをしている奴らに向けるべきではない。そういう気持ちは、祭りでもないと他人のためには何もしない「人間という生き物全体」に向けるべきだ。向けたって何も起こらないが、向ける方向はそちらなのだ。
以下余談。
先ほど人間とはまことに冷たいといったが、じゃあ一体、何と比べて冷たいというのだろうか。他の哺乳類だろうか?あるいは宇宙人?
結局、どこかで誰かから習った、現実味のない「人間のあるべき姿」と比べているだけだ。実際の人間と幻想のギャップにおろおろしているだけだ。無駄な気持ちを抱えずに、さっさと「人間のあるべき姿」なんて幻想を修正すればいいのである。そして、現実的な方法を練ればいい。アイス・バケツ・チャレンジのような。
幻想が完全に修正された日には、妙な胸のざわつきも全て消え去るだろう。
それが良いことか悪いことなのかはわからないけれども。