この世の背景

主に、どうしようもないことを書いています。

他人の意見の扱いについて

そもそも前提として、世の中の人間の大半は、大したことなんて考えていやしない。自分が不幸でないのは自分の実力だと勘違いした馬鹿ばかりで、役に立たない個人的な体験談や、わけもなく信じている常識や、小学校の算数レベルの理論を振り回しており、脳なんてほとんど使っていない。

 

だから、基本的に人の意見なんてそんなに真面目に聞かなくていい。

 

なのだが、相手が自信満々なので、思わず「そうなのかも」などと人の意見を信じてしまう人がいるかもしれない。

 

しかし相手が自信満々であることと、そいつの意見の信頼性に、直接的な関係は全くない。そいつらは単なる「癖」で、何の理由も無く自信満々なのだし、何の恐れも無くあなたの意見を否定するのだ。単なる「癖」で慎重に、あるいは卑屈になってしまうあなたとは、対照的である。

 

あるいは、他人が自分よりも「立派」と感じるだろうか。そして、それ故に話している内容も自分の意見よりも正しいと感じるだろうか。

 

しかしそいつが立派なのは、そいつの能力と環境と運ゆえであり、そいつの考え方や意見が正しいからではない。そいつの考え方は、究極的には「その環境にいるそいつ」にしか当てはまらない。少し広く解釈すれば当てはまる人数や環境が増えるだろうが、そこにあなたが入るとは限らない。

 

親身に相談に乗ってくれているから、意見を採用しなければならない?

 

どんなに親身になったって、所詮他人であり、他人事である。そいつはあなたが思っているよりも軽い気持ちで相談に乗っているので、気にしなくて良い。あるいは、そいつが本当の意味であなたの親身になっているなら、あなたがそいつの意見を検討した上であなた自身の意見を採用することに何の異議があるだろうか。異議のある奴はクソ以下である。クソ以下の以下である。

 

だから、他人の意見を簡単に信じたり採用してはいけないし、その必要も無い。他人の意見はあくまで検討材料に過ぎず、信じたり信じなかったりするものではないのである。