この世の背景

主に、どうしようもないことを書いています。

人間関係はコントロールの関係である

下記を読んだ。

 

「コントロールしたい欲」について考える。 - スズコ、考える。

 

上記の記事では、色んな人間関係の問題に、コントロール欲求が潜んでいるのではないか、と書かれていた。全面的に同意だし、自分も職業上の必要性もあってだけど、自らのコントロール欲求には気を配っている。

 

ただ同時に、コントロール欲求自体を責めるのは、無意味だとも思う。

 

例えば、仲良くなって欲しいから頻繁に話しかける、恋愛感情を持ってもらいたいから優しくする、尊敬されたいから自分の良い部分を前面に出す、手伝って欲しいからその様に伝える、近寄って欲しく無いからよそよそしい態度をとる…

 

これらは一つ残らず、コントロールそのものである。相手に何かを望み、それを実現させようとする時、人は直接的・間接的に、あるいは意識的・無意識的に、相手をコントロールしているのである。

もちろん、その目的や実現のための手段によって、許されない様なもの(詐欺、強盗、中傷、いじめ…etc)から、そうでないもの(教育、企業、説得、慰め…etc)まで様々なのだが。

 

要するに、コントロールする、というのは人間関係の主要な要素の一つ、あるいはその様式の主要なものの一つであって、それのみで責められるものではない。責められる部分があるとするならば、それは目的や手段にこそあるのである。そこに問題が無いならじゃんじゃんコントロールすりゃ良いのである。

 

ただ、日常のコントロールは無意識なことも多いため「他人をコントロールするなんて傲慢な!」などと、コントロール自体に否定的な感情を持つ人は結構多い。そしてそこに否定的なあまり「自分が自分の目的のために誰かをコントロールしている」という事実を認めない人間がいて、かえって傲慢である。良心押し売り系の人間に多くて、本当ーーーーーーーに辟易する。

 

コントロールするときは、自分の都合で行っていることを自覚して、かつ、目的が独りよがりなものでないかどうか、ちゃんと考えておくんなまし。