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この世の背景

主に、どうしようもないことを書いています。

何故、人を殺してはいけないの?

「何故、人を殺してはいけないの?」

この問題に関する議論をみていつも思うのは、もう少しこの問いの、文章としての意味を把握する必要があるということである。この文章は、いったいどのような事実を表す言葉なのか。

 

この文章は「何故〜の?」という問いかけの部分と、「人を殺してはいけない」という禁止の部分から成り立っている。まずは禁止部分について考えよう。

  

「〜してはいけない」とはなにか。

それは「とある行動を減らすことを目的とした、行動の主体への働きかけの一種」である。働きかけるのは、とある人や、法律や、主体内部の信条など。具体的に例を挙げよう。

 

「人を殺してはいけない」

「盗みを働いてはいけない」

「学校をさぼってはいけない」

「ソファーの上でうんこをしてはいけない」

「パンにジャムを塗りすぎてはいけない」

 

全て同様に、とある行動の減少を目的として、誰かが誰かに向けて命令、あるいはお願いをしているのである。ではなぜ、その行動を減少させたいのか。至極当然だが、命令する(お願いする)側が、「その方がいい(メリットがある・デメリットが無い)」と判断しているからである。

 

つまり、「〜してはいけない」は「行動の価値判断」「その価値観に沿うように迫る働き」の2つの部分から成り立っている。そして、それは例えば「〜してね♡」「〜しようね♡」などよりも、迫る程度が強いのが特徴である。

 

で、ここからは問いを「何故、人を殺してはいけないの?」から「何故、人を殺さない方がいいの?」に変更することとする。変更する理由は、「〜してはいけない」が2つの部分から成っていることと、「迫り方が強い」という特徴とによって、以下のしょうもない議論が起きてしまうからである。

  

①架空の「絶対」に関する議論

言うまでもなく、「〜してはいけない」という文章に、「絶対=いついかなる場合も」という意味合いは元々ない。「〜した方がいい」と強く迫るものが存在するに過ぎない。

 

しかしその強い迫り方ゆえに「絶対」という意味合いを感じる人が多いようで、「そうはいっても〜という場合は殺してもいいんじゃないか」「〜の時も殺しちゃ駄目なのかよ」と単純に例外をあげてくるような、全く見当違いな反論が認められる。

 

原則的に、場合によりけりであって、例外は当然あり得るのである。

 

②なぜ「命令」するのか、に関する議論

「何故、人を殺してはしてはいけないの?」と誰かが問う時、「なぜお前は俺に『いけない』などと命令するのだ」という、「価値観に沿うように迫る働き」への説明要求が含まれていることがある。

 

「殺さない方がいい理由」と「殺さないことを相手に望む理由」をまとめて語るのはとってもめんどくさい。

 

例えば「お前のことが大事だから…人殺しなんてして欲しくないんだよ!!」っていうのは、後者に対する返答であって、前者を聞きたい奴には全く的外れとなる。逆に「人を殺すと心の何かが永遠に変質する、良くない方に」などという返答では、後者を求める人間(大抵鬱陶しいやつである)は満足しないだろう。

  

そこで問いを「何故、人を殺さない方がいいの?」に変更すると、焦点が「何故殺さない方がいいか」という価値判断に絞られて、まことに議論し易くなるのである。

 

「何故、人を殺さない方がいいの?」 

やっと準備ができた。あとは殺さないことのメリット、殺すことのデメリットを、純粋に考えるのみである。状況を考慮に入れて、冷静に評価したらいい。

 

しかし、自分は準備だけでもうお腹いっぱいである。これ以降はクソめんどいのでやーめた。