この世の背景

主に、どうしようもないことを書いています。

黒い感情の処理

昔から母親が嫌いだった。感情的で、非理論的で、頑なで、独善的で、過干渉で。母も、理屈っぽくて頑なな自分とは馬が合わないと感じており、毎日、比喩ではなく本当に毎日、喧嘩、というよりけなし合いが行われていた。

 

社会人になって、県外で一人暮らしが始まったとき、あまりの開放感に驚愕した。長年閉じ込められていた1m四方の鉄の立方体から脱出出来たような、とてつもない開放感だったのだ。その巨大な開放感から、自分がどれほど母のことを疎ましく思っていたのかを逆算して、また驚愕した。何故もっと早くに家を出なかったのか…

 

その後数年間は、年に1回程しか実家に顔を見せなかったが、ホームシックは全くなかった。髪の毛の先ほどもなかった。一切平気だった。

 

そして何度目かで実家に帰った時に、ふと母を見ると、そこには年をとった、弱々しい、どこにでもいるような女性がいるだけになっていた。知らない内に、母に対する刺々しい気持ちがほとんど無くなっていた。そこでまた、驚愕した。長年の黒い気持ちってこんなにすっきりと無くなってしまうのかと。こんな簡単なことだったのかと。

 

今はもう少し頻繁に実家に顔を見せるようにしている。母の寿命がいつまであるか分からないし、後に後悔しないように。やはり口喧嘩はすることもあるが、以前より、お互いかなりソフトに接することが出来ている。

 

ずっと同居していたら今頃どうなっていたかを考えてぞっとする。あのまま、今もお互いけなし合いながら生きていたのではないだろうか。

 

このように、とにかく離れるてみるってのは、非常に良い選択肢の一つだと思う。特に肉親とか、恋人とか、友人とかの、近しい人間に対する、御し難い黒い感情を処理するためには。近くにいるだけで、思考は恐ろしい程の影響を受けて自由をなくしてしまうし、関係が近ければ近い程、その影響力に精神力で抗うのが難しくなる。根本的な問題が解決しなくても、ただ離れるだけで景色は一変する…かもしれない。

 

まぁ、さっさと離れてみましょうよ。

 

 

以下余談。

 

 

もう一つ、離れて良かった対象がある。いわゆる「リア充」と呼ばれる奴らだ。小学校から大学に至るまで、どうしても自分の視界に入ってくるリア充共が、憎くてたまらなかった。全員内臓を引きずり出して鉄板で焼いてやろうかというくらい。突然空から槍が降ってきて全員めった刺し(一人当たり20本くらい)にならないかなぁ、と夢想するくらい。別に何をされたわけでもないのに、よくもまぁそこまで恨めたものである。

 

社会人になって、割と個人プレー可能な職業であったこともあり、そんなくそリア充のくそ野郎どもとは距離を置くことが出来た。で、こちらもしばらくしたら、以前程の黒い感情を抱くことも無くなった。あいつらはあいつらで大変かもしんないし、なんて言ってみたり出来るくらいに。

 

その後、職場が変わり、リア充共に関わる必要がまた出来たが、以前のような黒い感情は全く無くなっていなかった。みんな燃えてしまえ。灰になれ。

 

うーん、逆恨みって恐ろしいね。