を読んだ。宗教に関する見方が自分と似てる、と感じた。自分の考え方は
君が感じる神が、その宗教の教える神であると、どなた様が教えてくれたの?
あたりに書いたけど。
だからまぁ、この考え方は、それなりに理性的な人ならたどり着くような、それなりの凡庸な結論なんだろうな、と思う。それはいいんだけど、気になったのは、引用先のサブタイトル(?)の「宗教にハマらずに生きる方法」って部分。
…気になったのに、書いてないってどういうこと!
自分は無神論者だ。しかし神なしに生きれない人を知っている。その人たちはもちろん「神を信じている」わけだが、その人たちの全てが「単に知的に低いために神がいると誤解している」わけではもちろんない。上記で書いたような「神を信じてしまう機序」は「神を信じる理由」の半分であり、残りの半分は「信じなければ救われないから信じた」「信じた方が救われるから信じた」という環境である。
「救われる」をどう定義するかをきちんとやると、くそ面倒臭さそうなので割愛するけど、簡単に「自分が望むものを手に入れられる」としておこう。望むものってのは当然「愛」とか「家族」とか、諸々の抽象的なものも含むんだけど。
で、どうしても望むものが手に入らない環境、まぁあるよね。絶対に不可能な環境。で、そんな場合にどうやって救われるか考えると、以下の3つしかない。
・自分の望む水準を極限まで引き下げる(量の変化)
・自分の望むもの自体を変化させる(質の変化)
・あきらめる
なんだけど、自分の望むものの量や質を変化させる(苦しい我慢はこの場合当てはまらない。心の底から満足する、量や質の変化ことである)のって、ただ事じゃない困難を伴う。だって価値観って自分が能動的に決めたもんじゃないから。例えば「じゃあ今日からは餓死しなければそれで満足出来るようになるね」とか「万人に馬鹿にされても気にせず満足出来るようになるね」とか「一生孤独でも平気になるわね」とか、できないっすよ。絶対無理無理。
じゃあどうするか。…神の出番ですよ。
人間は神的なものをそもそも感じることが出来る(※1)んだから、あとは神を信じて、都合のいい性質を付加したらいい(※2)んですよ。価値観なんか根本から変えてくれるし、この世をあきらめて来世にかけることも出来る。やあ、みんな幸せだ。救われない人も、救われない人に足下をすくわれるのを恐れる人も、宗教運営で儲けたい人も、みーんな幸せだ。よかったね。ちゃんちゃん。
なわけで、この世に実際に救われない人が居続ける限り、宗教はあり続けるし、それはつまり、ハマる人も居続けるということだ。そして恐らくどんな世界にも救われない人が居続ける。
救われない環境でも宗教にハマらない方法…だれか知ってる?
※1君が感じる神が、その宗教の教える神であると、どなた様が教えてくれたの? 参照
※2宗教の論理的な弱点 参照