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この世の背景

主に、どうしようもないことを書いています。

君が感じる神が、その宗教の教える神であると、どなた様が教えてくれたの?

グローバル化の中で日本の宗教を意識できないと負ける

 

宗教も、神様も信じてないけど、神社におしっこかけたり、墓場で脱糞するのはどうにも恐ろしいという感覚・・・わかる。日本人の大多数に共通する感覚だと思う。この手の話題はいつも盛り上がるし、自分もまあ嫌いじゃないのだが、大体の場合、

 

神を信じている、だから恐れ多さを感じる

 

という理論を誰もが疑いなく議論の中心に据えようとするから、まとまらないんだと思う。反論する側も、そこのところを認めてしまって、なんだかよくわからないことになってしまう。が、この理論は実はごく限定的だ。もしこの理論が最初に存在するなら、この世に宗教なんか発生しない。そんな理論より先立って存在し、そして最初に考えるべき理論は、

 

恐れ多さを感じる、だから神を信じる

 

である。オバケ(的なもの)が存在するから闇が怖いのではない。闇が怖いからオバケ(的なもの)が存在するのだ。的なね!

 

多数の他人が大事にしているものは、特に理由が無くても大事にしてしまうし、それをそのように扱わない時は心理的な抵抗を感じる。いいことがあったり、悪いことから救われたら、なにかに感謝したくなる。悪いことになりそうなら、なにかにすがろうとする。悪いことがおきたら、何かを呪ったり、自分が悪いことをしたからじゃないかと感じる。未体験のことは想像できないから、死後にも世界があるんじゃないかと思えたりする。等々の感覚。

 

・・・このような感覚は、集団行動をとる生物の本能と習慣で説明できますよ、ってあらためて言うほどのこともないんじゃないかなー。

 

まぁでもその心理的な抵抗とか、恐れ多い感じとか、因果関係のありそうな感じとかをもって、「神を感じる」と言っても特に問題はない(情報量に変化は無い)。単に感覚につけた名称だし。

 

でも「神の存在を信じる」とか言っちゃうと意味が変わる。感じることと、感じる対象の存在を信じることの間には大きな溝がある。感じるのは完全に受動的だが、信じるのはその人間の選択が絡んでくる。もちろん、「○○の神」なんて言う奴は更に選択を重ねているってことになる。

 

で、まぁ「日本人の宗教」を考えた場合、これはほとんどの人が、「何かを感じている」レベルなんだよね。神道にしろ、仏教にしろ、冠婚葬祭の形式ってだけの話であって、「そこで説かれている神とか何とかを信じているから、恐れ多い」んじゃない。これしちゃいけない、あれしちゃいけないってのを、特に理由なく、いや「皆がそうしているから」「皆に迷惑かけちゃいけないから」という理由だけで幼いころから習慣づけられまくった結果、やたらと「何かを感じている」ってだけ。もちろん、そこに神道的なもの、仏教的なものが混じっているんだけど、だから感じるようになっただけで、存在を信じているわけじゃあない。

 

「お守りをちょん切るのはなんか嫌なんだよ、別に神様は信じてないけどね」っていう事実にはなんの矛盾も無い。信じて無くても嫌だと感じるんです。

 

日本人が「俺は無宗教だ」って言う時に本当に言いたいのは、

 

神だの悪魔だのと、阿呆みたいなものの存在を「信じて」いる様な奴らと一緒にすんな、ハゲ!!

 

なんじゃないかなー。神的なものを全く感じないわけじゃあないのよ。

表題は、特定の宗教を信じている人へ。

あとこのエントリーも。