この世の背景

主に、どうしようもないことを書いています。

炎上する記事、つっこみたくなる記事と、経験の頼りなさ

 ネット上にはそういう記事があふれていて楽しいんだけど、そんな記事には、道徳の欠如自慢とか、明らかに誤った情報を発信しているとか、色々なタイプがある。その中で自分が好きなのが、ブログや日記に多い、

 

1.自分が経験した出来事や振る舞いを分析

2.その出来事や振る舞いの主体を語る。更には、その主体の属する団体も世界も語る

3.結論(何かを非難するものであることが多い)が明らかにおかしい

 

というパターンで、例えば

たかが挨拶ぐらい、できなくてもいいんじゃない?とか男性との会話はしんどい。とかみたいなの。

 

 なんでこのパターンが好きか。そもそも自分は、複数の人が同じ様な世界を、同じような条件で経験しても、その世界観が全く異なってくるのを面白いと感じるんだけど、各人の世界観が大きく異なってくる原因は、大体が上記1〜2の思考パターンの中にあると考えている。そして異なってしまった世界観が3。要するに、異なった世界観(しかも著しく偏った!)が生まれる瞬間が見られるから好き。

 

 この1〜2の思考パターンの特徴は「少ない情報からそれ以上を推測する」というところにあるので、当然推測した結論には結構な偏りが生じる。それを繰り返し行うことで、世界観の多様性が生まれることになる。

 「偏り」というとなんか悪そうだけど、人間に世界の全てを経験することは出来ないから、少ない経験(情報)からそれ以上を語ることも、その結果が偏ることも避けられない。だからまぁ重要なのは、推測の結果における偏りの「有る無し」ではなく、推測の結果における偏りの「程度」ということになる。そして推論の結果における偏りの程度を大きくする要因として、

 

 ・残念ながらそもそも経験が偏っている

  

というものに注目したい。推論の元がそもそも偏っていると、どんなに正しく推論したところで結果は更にとんでもなく偏った、なんだかよくわからないものになるからだ(1周回って正確なものになるかもしれないけど)。で、経験の偏りは、

 

 ・環境が偏っているために、経験も偏っている

 ・経験する主体が原因で、経験が偏っている

 

という二つに分けられる。環境が原因の場合(周りの人間に偶然○○な人が多かった、とかそういうの)…はそりゃ大事なんだけど、単純だし、今はそんなに興味ないので、ここでは取り上げない。何か経験から結論を導きだすときは、自分の環境に偏りが無いかどうかを見直そう!で、

 

 経験する主体が原因で経験が偏る場合、を以下に3つ挙げる。

 

 まずは基本中の基本として「経験の絶対数が少ない」場合が挙げられる。当然だけど、原則的に豊富な経験よりも少ない経験の方が、偏りが大きい可能性が高い。だから例えば、学生やニート、新社会人が少ない経験(偏った経験)から導きだした社会像の偏りったらもう、見てて赤面してしまう。ウヒーってなる。

 もちろん、そういう人たちに社会がどう見えているのか、には興味あるし、知らないが故の斬新な見方には意味が無いとは思わないけれど。

 

 次に考えられるのが「経験する主体に強い性質がある」場合だ。例えば「凄い美人」である」とか「不細工」とか、「もの凄く否定的な話し方をする」とか。「凄い美人」に対する男性の言動は、「その他の女性」に対する男性の言動と全く違うだろう。当然そこから導き出される「男性とは」という結論も。あるいはまた、「もの凄く否定的な話し方をする人」にとっての他者は「その他の人」にとっての他者よりも、否定的で拒絶な反応を示すであろうし、結論である「他者とは」にも大きな違いがみられるだろう。

 ただ、「凄い美人」であっても、とても賢い人であれば自分の性質を差し引いたり、他者の経験を考慮に入れて、一般的な「男とは」にある程度近づくだろうし、まぁまぁ賢ければ、一般論には近づけなくとも「これはあくまで特殊な性質のある私にとっての男なのだが」という注釈を忘れないだろうが。

 

 最後に、「経験の変質」について。これはなんというか、その人の世界観に影響されて起こる。誰にでも世界観はあるので、常に経験は変質していともいえるが、その世界観がそもそも大きく偏っている場合に、目立つことになる。例えば、自己評価の低い人は他者の行動に嘲笑を感じるかもしれないし、自己評価が高い人は愚かさを感じるかもしれないし、異性に対する警戒心が強ければ性的なアピールを感じるかもしれない。結果として「他者は心ない奴らばかりだ」「他者は馬鹿ばかりだ」「異性はめんどくさい」などの、その人の世界観をより強化するような、極端な結論が出現することになる。

 

 最初に例として挙げた2つの文章をいちいち説明はしないけど、書き手はそれぞれ、なかなか偏った経験をしているようで、かつ自分の性質や環境への言及が全然ないわけですよ。どうしてそうも自分の体験を盲信できるのか。

 

 自分の経験なんて、噂話やネット上の情報と、本質的には変わんないのにねー。