この世の背景

主に、どうしようもないことを書いています。

そうする理由としない理由。あと、むかつく奴。

 1月13日、朝のニュースで、オウム真理教平田信容疑者が、東大阪に14年間潜伏していたと報じられていた。まあもちろん、その間通報されなかったわけだ。理由は、

a.気付かれなかった。
b.気付かれたが(薄々を含む)通報されなかった。

に分けられるが、そのニュースでは実際はbであったようだ、と報道されていた。そして「もしあなたが気付いたら通報しますか?」という街頭インタビューが行われ、「通報しないかも」という人々が多く取り上げられていた。その理由としては

1.人間違いだと迷惑をかける。
2.あとでなにかされるんじゃないかと心配。

というものが大半を占めていた。
 まー、TV番組だから答えは選別されているだろうし、「通報しますか?」なんて明らかに「通報しない」を誘導するような問い方だし、このニュースを根拠に「そういう人が多いんだ」なんて結論はもちろん出るはずもない。が、通報しない人はやっぱりそこそこいたと思う。だって14年間全く気付かれないとか考えにくいから。理由を実際に通報しなかった人に聞いてみても、1.2.のような答えが多いのかもしれないが、実際は

3.なんとなく

が相当数混じっているはずだ。というより、最多であるだろう。いつもと違うことをするのは、誰にとってもなんとなくしたくない、億劫なことなのだから。
 それは非常に重要で原始的な生物の本能である。もし人間がいつもと違うことを何の抵抗もなく行う生物であったとしたら、早々に、文明を持つ前に絶滅しているはずだ。学習された行為を適切に行うということは、それほど学習されてない行為をあまり行わない、行うことに抵抗がある、ということと裏表であるから。
 だから「なんとなくしたくない」のはしょうがないのである。「いつもと違うことをなんとなくしたくない」っていうのは、生物として正常な証である。しかし「いつもと違うことをなんとなくしたくない」ってのは自覚されにくい。

 何故なら「何かをしたくない(したい)ときにはなにかそれなりの理由がある」と皆が考えているからだ。「疲れているから」「手間がかかるから」など。そこに何かしら説明をつけないと落ち着かないのだ。通報の話題に戻ると、そうして「なんとなくやりたくない感」を説明するためにひねり出されたものの内で、最も批判されそうにないのが「人違いだと迷惑かけるから」「あとでなにかされるんじゃないかと心配」などなわけだ。批判されそうなのは「めんどくさいから(≒「手間がかかるから」特に手間が比較的小さい時に使われる言葉)」とか。

 実際は「いつもと違うことだから」が「したくない」ことの理由なのだが、その説明は認められない。その説明がメリット・デメリットに沿ったものではないからだ。例えば「人に迷惑をかける」ことによる自分の気持の乱れはデメリットだし、「あとで何かされる」のもデメリット、「手間のかかることをする」のもデメリットだ。しかし「いつもと違うこと」自体はメリットでもデメリットでもない。だから行動の説明としては採用されないのだ(もちろん、いつもと違うことがメリット・デメリットと直接結びついているときは採用されるが)。

 じゃあなぜメリット・デメリットじゃない理由は採用されないのか。それはそんな理由を採用することを習ってないし、練習してないからである。そもそも人が行動の理由を説明する(あるいは自覚する)理由ってのはなんだろうか?人という生き物の行動原理を解き明かしたいから、なわけはない。そんなのごく一部の人の娯楽。理由は、行動の適切・不適切を見極めてより適切な≒メリットの大きい行動がとれるように、なのである。だから、それに沿った説明方法を子供の時から叩き込まれる。生物学的な説明なんぞクソの役にも立たないから必要なし。役に立たないことはしないのが生物の、っていうより存在し続けているもの全ての大原則である。

 まーそんなわけで、なんとなく通報しなかった人がいたんだと思う。しょうがないよね。その人を責めるのはお門違いってものである。通報して欲しかったら、本能に打ち勝つ程のメリットを提示するしか無いのだ。しかし、今回は報奨金もあったのに・・・と思うかもしれないが、大事なのは、行動に伴うとされる報酬の大きさとその確実性、なのだ。報奨金が「低い確率でもらえる」では、通報に伴うデメリットとつりあわなかったわけだ。目立たないとこにポスターおかずに目立つとこに置いて、しっかり覚えさせるのが急務ってことになるね。

 ここまで言っといてなんだけど、なんとなく通報しなかったくせに、自分の良心を守るために自分の中であれやこれやそれっぽい理由をでっち上げる奴は死ね。
 なんてね!